EPISODE 6

- ロシア編2 -

結局イルクーツクには5日ほど滞在した。
バイカル湖をサラッと観光したあと、モスクワに向かう予定だったのだが、
普通の生活ができる有り難みにやけに感動してしまってついつい長居してしまったのだ。

ここで言う普通の生活とは、
暖かいシャワーを浴びることができて、外で用を足す必要がなく、
レストランに行って羊肉以外の料理を食べることができる生活である。

哀しいことにモンゴルではそのどれもが叶わなかった。

バイカル湖に足を伸ばしてみたものの、
オフシーズン故になんだか活気がない。暗く重たい空とあいまって陰鬱な雰囲気が漂っている。
涙が出るほどの寒さに加えて身を裂くような強風に耐えきれず早々に引き返してしまった。

ただ屋台で売っていたオームリという名の魚の燻製は本当に美味しかった。
川魚特有の臭みは全くなく、口に運んだ瞬間淡白でスモーキーな味わいが口一杯に広がる。
少し塩っ辛いのもまた病みつきになる美味さだ。
このオームリをもう一回食べるためにまた来てもいいかなと思ったほど。

まぁそれは夏に限った話ではあるけれども。

そして再びのシベリア鉄道。5200キロ82時間の旅路。
今回は途中下車することなくシベリアの平野をモスクワまで一気に駆け抜ける。

期待と不安が入り混じった面持ちでモスクワ行きの列車を待つ。
前回と同じようにパスポートと乗車券を女性車掌に見せて意気揚々と列車に乗り込んだ。
相部屋(相部屋といっても寝台が4つ上下に並んでいるだけでドアはない)
になったのは眼光鋭いロシア人の男2人。
挨拶しても返事はない。一瞥もくれない。

そして今回の寝床は運が悪いことに二段ベッドの上段で、天井までの高さはわずか80センチほど。
身体を起こすのも一苦労である。

ちらりと周りを見回してみたが、外国人らしき人は自分以外見当たらず、
いかめしい顔したロシア人のみ。しかも圧倒的に初老のおじさんが多い。

下のテーブルは占領されており、座ってくつろぐこともできない。
みんな無愛想で英語も通じないので会話もない。

困ったな。イルクーツクで出会った優しいロシア人はどこに行ってしまったのだろうか。

やることもないのでひたすら本を読む。相変わらず窓の外の景色は変わらない。

朝が来たら目を覚まし、お腹が空いたらりんごを齧る。
食事を済ませたら一眠りして本を読む。飽きたらお気に入りの音楽を聴いて、夜が来たら寝る。
延々と同じことの繰り返しである。

ロシアには11の標準時があり、その標準時をぶった切るように列車は走るので、
時間感覚というものが極めて麻痺する。
車内に時計はなく、もちろんWi-Fiもないので時間を調べる術もない。
お、日が昇ったから6時かなとか、
隣のオヤジたちが酒盛りを始めたから17時過ぎかな程度にしか時刻を把握できない。

そしてこんな過ごし方をしていると、自分の存在というものに疑問を持つようになる。
自分が誰なのか、何をしているのか、どこにいるのか、どこに向かっているのか。
それすらもわからなくなってくるほど混乱するのだ。
どのコミュニティにも時間軸にも属することなく、
外界の情報から完全に遮断された、宙ぶらりんな不思議な感覚。

かくもおかしなタイムスリップ。

時間も空間も人も全部をごちゃ混ぜにして、変わらない景色の中を列車はひた走る。

外はいつしか雨が降り始めていた。
そうして、車内には雨の匂いが立ち込め、湿り気を帯びた空気は頬を濡らす。

ありとあらゆる物事の終わりと始まりが唐突であるように、
列車はなんの前触れもなくモスクワに到着した。

雨はさっきより強く降っている。

長い旅の終わりと新しい旅の始まりは雨に包まれていた。

小林潤
Jun kobayashi

1992,08,31 千葉県船橋市生まれ
明治大学法学部
趣味:酒
好きな食べ物:さくらんぼと親子丼
好きな女:長澤まさみ
座右の銘:人生一生モラトリアム