EPISODE 3

- シベリア鉄道編1 -

クラクション鳴り止まぬ街の喧騒を背にロシア行きの列車を待っていた。

吐く息は白く、かじかんだ手は思うように動かない。

行先はシベリアのパリと称されるイルクーツク。初めての陸路での国境越え。

ロシア人の女性車掌に乗車券とパスポートを見せ、定刻より少し遅れて到着した列車に乗り込む。

同室になったのは髪を短く刈り上げた背の高いモンゴル人の男。
一際目を引くのはパンパンになるまで詰め込まれたスーツケースと大きなダンボール箱。

一通りの挨拶を終えて互いに思い思いの時間を過ごす。

「医者になるんだ」

コンパートメントの一室に漂う不思議な沈黙を破るように男は不意に口を開いた。

読みかけの小説を閉じ、ちらりと向かい側に座る男に目をやると、
その男はぽつりぽつりと話を続けた。

ウランバートルの郊外で生まれ育ったこと。
地元の高校を主席で卒業したこと。
初恋の人が今の妻であること。
その妻との間に4人の子供をもうけたこと。
8年続けた仕事をやめたこと。
医者になるためにロシアの大学に留学しようとしていること。

だから今こうしてシベリア鉄道に乗っているということ。

宙に浮かぶ言葉を1つ1つ丁寧に手繰り寄せるように語るその姿に私は、
家族を故郷に残して旅立った男の強い決意と微かな哀愁を見た。

なぜ家族を故郷に残してまで医者になろうと思ったのか。
その時妻はなんと言ったのか。親は兄弟は。
子供の成長を近くで見守ることができないことはどう思うか。
キャリアを捨てることにためらいはなかったのか。恐れは。不安は。
なかったとしたら何故なのか。

その男の人生を目の当たりにして、聞きたいことは無数にあった。

でも何も聞かなかった。というより聞けなかった。

怖かったのだ。

人の心の真ん中の、その人をその人たらしめる「核」みたいなものに立ち入ること。

その「核」みたいなものが強く濃いほどそこに立ち入ることが私は怖い。

その「核」みたいなものに触れることによって、
私の中の「何か」が影響を受けることが怖い。

私はその男の話を聞きながら、胸の中が掻き乱され目頭がカッと熱くなるのを感じていた。

だから私はそれ以上踏み込めなかった。

それ程までに男が語るその言葉は力強く重かったのだ。

「どうして君は旅をしているんだい?」

旅に理由なんていらないと豪語していたくせに、
1人の男の生き様を見て、なんの覚悟もこれといった理由もなく、
のんべんだらりと旅を続けている自分が、
なんだかとても薄っぺらいものに感じられた。

そんな心内を見透かされたくなくて、旅する理由を必死に取り繕う自分。

「なぜ旅をしているのか」

そんな単純な問いの答えすら持ち合わせていなかった私は
曖昧な言葉を並べるので精いっぱいで、
私の並べたその言葉は男のそれと比べて悲しいほどに空虚だった。

寝台に横たわり、規則的に揺れる列車のリズムに身を任せ、旅する意味を考えるがしかし、
いくら考えを巡らせど心の靄が晴れることはなく、思考は一往一来を繰り返すのみ。

寝るに寝られぬまま時が経ち、東の空がぼんやりと明るんできた頃、
列車はロシアとの国境に位置する駅に到着した。

いつしかモンゴル色の曇り空はロシア色の曇り空に変わっていた。

小林潤
Jun kobayashi

1992,08,31 千葉県船橋市生まれ
明治大学法学部
趣味:酒
好きな食べ物:さくらんぼと親子丼
好きな女:長澤まさみ
座右の銘:人生一生モラトリアム